日記帳。



2月


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2oo4.o2.o2____ばんざーい!

いま、修論審査会の発表用書類を製作中あるよ。

いやはや、お手上げ状態のときってホントに両手を上にあげたくなるものなのね。ばんざいなのね。

もう書けません。

無理です。

助けて。

ぎゃあ。



2oo4.o2.o7____だんだらつの つんつんつんつん

さて私の修士論文の発表準備も追い込みに入る時期でございまして。ガッコの近くのコンビニなどに行きましても栄養ドリンクがすべて売り切れていたりするわけでして。ガッコ全体が追い込みムード一色の年度末でございます。いろいろな人に迷惑をかけながらも、一生懸命ファイト一発でございます。望月でございます。


さてさて今晩もガッコにお泊りの私でありますが、昨晩も泊まりましたゆえ、これで3日間ガッコにいることになるのでございます。そろそろお風呂に入りたいでございます。服も着替えたいでございます。小生、靴下を脱ぐのが怖いであります。


そんなこんなで夜中、ガッコにまたまた一人でいるのですが、どうしても独り言が多くなってしまうのですね。睡眠不足も手伝って、なにやらシャウトじみたつぶやきがどうしても増えてきます。そういった「独りシャウト」は感情が先行して発するものであって、いちいち文法になんかかまっちゃられない思いであるからして、意味はとてもよく通じるもののよく考えるとおかしなことを言っている、そんなことが多い。たとえばパソコンで製作した文書なんかをプリントするとき、うちの研究室のボロプリンターに対してこう叫んでいたりする。


「鬼のように遅い!」


・・・。
意味は分かる。とても遅い、と言いたいのだ。だが「鬼のように」遅いとはどういうことだ。はたして鬼とは動きの遅い生き物なのだろうか。
多分「鬼のように強い」あたりから派生してきて、いつの間にか「とても」くらいの意味に落ち着いてしまったのだろう。日本語なんてそんなもんだ、と自身に対して寛大になりつつも、語源がはっきりしているだけに違和感はぬぐえない。ほかにも私の「鬼」語録は多い。しょっちゅう「鬼」「鬼」言っている。いろいろ思い出してみよう。




「鬼のように眠い!」


「鬼のようにやさしい!」


「鬼のように腹減った!」


「鬼のようにトイレに行きたい!」


「鬼のようにニキビができた!」


「鬼のように洗い物がたまっている!」


「鬼のようにキムチを白菜から作ってみたい!」




「鬼のようにやさしい」なんかは一見ふつーだが、よく考えると鬼の定義に反している。少なくともほめ言葉じゃあなさそうだ。



そんなことを考えていたら、窓の外では雪が鬼のように降りはじめた。



2oo4.o2.o9____夜明けの街で 思い出すのは 月の残骸と 昨日の僕さ




毛布が暖かいのではない


毛布が包んでいる人の熱で温かいんだ


僕はただの布


さわらないで!


意外とちくちくしてるから





人の心が温かいと感じられるのは、

自分の心が冷たいからなのだろう。




本日、修士課程、修了。



2oo4.o2.2o____売れる前から 知ってたよ

おとといの夜、サッカーの試合をテレビで見ていた。
日本代表対オマーン。二年後のワールドカップの予選第一試合目だという。アナウンサーが言うには、なにやらこの試合に勝たなければもう予選突破が危ういらしい。
そんなわけで今回の試合には、いわゆる「海外組」の有名選手がみんな帰ってきた。その海外組の一人に「高原くん」がいる。
高原くんとは、高校のとき同じクラスになったことがあるんだよ。えっへん、すごいでしょ?高原くんが。


この試合、なんとか日本が勝ったようで、ま、よかったねといった感じだ。でもぼくにとっては、ちょっと気にくわないところがあるのだな。それは「サントス・アレサンドロの呼び名」についてである。

ぼくは静岡の出身であり、清水エスパルスのことはちったぁ知っている。サントス・アレサンドロ氏についても彼が帰化する前から知っている。当時は清水エスパルスは激弱で、事実上彼一人で支えられている状態だった。
救世主、アレックス。
そう、彼は「アレックス」と呼ばれていたのだ。

ところが日本人の奥さんをもらって帰化し、「サントス」が「三都主」になった途端に、彼をよく知らなかった人々が「サントス」と呼ぶようになった。彼を「アレックス」と呼ぶ人は唐突にマイノリティーとなり、やがて「サントス」は一般になった。
帰化した当時、「アレックス」という名で呼んでくれ、とアレックス本人は希望している。今まで呼ばれていた愛称に愛着があるから、ということだそうな。しかし周知の通り、今の主流は「サントス」である。本人の意向もエスパルスファンの歴史も無視した、日本人のエゴであろう。まったくもー。
そういうわけでぼくは今でも彼を「アレックス」と呼んでいる。

しかし彼以外にも、後発的なブームによって呼び名が変わってしまった例は多いようです。最近の代表的な例としては「小倉優子」だろうか。

彼女は最近「優子りん」と呼ばれている。なにやら「こりん星」からやってきたのだという設定までできたが、ま、そこら辺のコメントは避けることとして、とにかくあちこちの雑誌で「優子りん」「優子りん」書いてある。

ところがこの愛称はごく最近にできたものなのだ。昔からの彼女のファンというのは「優子たん」と呼んでいるのだな。だから昔からのファンにとって彼女を「優子りん」と呼ぶヤカラは明らかな新参者であり、嫌悪すべき人種なわけだ。似たり寄ったりだが。
同時にここから彼女に対するファン歴を推し量ることができる。要するに彼女のことを「優子たん」と呼ぶ人は昔っから応援していたキッスイのファンであり、「優子りん」と呼ぶ人は付け焼刃の新加入ファンである。だから世の男性は彼女のことを「優子たん」と呼ぶべきなのだ。




・・・そんなことを真面目に書いている自分と、世界で活躍している同い年の高原くんとの差は、きっともう縮まることはないのだろうな。クラス対抗リレーでバトンを渡した次走者の高原くんは、すでにはるか遠くに見えるでありますよ、しょぼぼん。



2oo4.o2.23____新しい日が来た 二人のSTART

『原田左之助が仲間に加わった!』

なんかロープレみたいで楽しいっすね、新撰組って。望月ですこんばんワ。
大河ドラマね。


風のうわさで聞きました。
アメリカのロスだかサンフラだかで、同性同士の婚姻が認められたとか。それで2000人位が役所に殺到したとか。
うーむ、新時代の到来である。


ま、ドイツなんかじゃもう2、3年前から認められている権利なのだから「何をいまさら」な話ではある。でもドイツはキオスクで「サブ」「薔薇族」クラスのホモ雑誌が売ってるくらいのオープンホモ大国であるから例外的に扱うべきであって、だからそういった意味でロスだかサンフラだかの同性婚姻の認可は時代の新展開と言わざるを得ない。何だかすごいことになってきた。


女性の人は驚くかもしれないが、世の男性というのは「同性愛」に対してまったく理解がない。平気で「キモチワルイ」などと言う。「中身が男性である」男性にとって同性愛という概念は、理解する方法さえ分からない宇宙のようなものなのだ。男性の頭の中身は昭和からまったく進化していないとゆーことだ。


たとえば、ウチの研究室の後輩に、むかし男から告白されたことのある男がいる。
誰からも告白を頂戴つかまつったことのないぼくから見ればうらやましい限りだが、ところがそれと聞いた先輩たちは彼を非常に好奇な目で見はじめるのだな。別に「変態」と思っている様子はないようなのだが、カゲでにやにやこそこそホモ談義。そんなに面白いかね。そして「キモチワルイ」の声。そんなにキモチワルイかね。


ぼくは唐沢俊一さん系の怪しい本をよく読むので、そういった文化に関しての知識は、ま、男としては豊富なほうだと思う。姉もよく「最遊○」だとか「封○演義」だとか、男ばっかりしか出てこない××な同人漫画を描いている。だからそういった一般で身近な文化に対して本気で偏見を持っている彼らにはいろいろと知ってもらいたいことがあり、ちょっと説教してみることにした。

「やじさんときたさんって、恋人同士って設定なんだよ。十返舎一九がそう言ってるんだから」

「新撰組の中にも男色が流行ったらしいよ」

から始まり、

「男性の約8割は同性愛者になる可能性がある、って斉藤茂吉も言ってたよ」

まで。

のべ11手。

望月、投了。






ま、別に理解してもらえないのならそれでよい。きっと生物学的にはソレに対して「キモチワルイ」と思うことが種の保存として有効なのだろう。人間の生きる目的は種の保存だけだというのなら。 実際に高河ゆんの『アーシアン』のようになったらシャレにならない。だから同性愛者を擁護することは、たとえば草食動物に肉骨粉を食わせるような、一種の生態系に対する冒涜なのかもしれない。ホントは人間として否定しなければいけなくて、否定することが「正しい」のだろう。


それでもやはり、世界中で確立している文化なのだから、必ず存在意義というものはあるはずで、頭ごなしに否定するのはやっぱりおかしいと思う。姉の同人誌におけるびっくりするような副収入は、世の中の同性愛に対する需要の立証に他ならないのだ。


・・・これ以上この話題を続けるとネット上の世間体が悪くなるのでこのくらいにしておきます。人の目とかケッコウ気にするタイプなので。


あと、先輩にぼくの同性愛の知識を語ったとき、「やおい」とか「ボーイズラブ」とか、テクニカルタームを一切使わずに説明しきったことは意外とほめられることだと思う。



2oo4.o2.26____ハートのエースが 出てこない

「くじびきに行こう。」

ガッコで机にへばりついてパソコンに向かっていると、背後から先輩が肩に手を乗せて、そうつぶやいてきます。



くじびきに行く、これは我々の間で最近使われるようになったスラングで、
「自販機でコーヒーを買いに行こう」
の意味である。

最近のジョージアの缶コーヒーには、3人の女優さんの写真が貼られています。矢田、米倉、佐藤。彼女のうちのどれが出るか、それを「くじびき」と呼んでいるわけなのだ。「矢田」が出たら大吉、「佐藤」が出たら凶だ。あくまでも先輩が言っているのであって。



そんなこんなで一日の運勢を缶コーヒーにたくす先輩であるが、ある日、先輩は強烈に「伝説の大吉」をほしがり始めた。なにやら先輩といっしょに知り合いの人が缶コーヒーを買ったらしいのだが、そのとき知り合いの買った缶コーヒーにおまけで携帯ストラップがついてきたという。携帯に着信があると声が鳴るという、けっこう手の込んだおまけだ。




目の前でソレを出された先輩は、非常に悔しがって、「矢田缶ほしい。矢田缶ほしい。」言い出した。

すっ。
ぼくは机の引き出しを静かに引く。
引き出しの中にはその「矢田缶」が入っている。



実は先日、ぼくは「矢田缶」を拾ったのだ。自販機の前で拾った。落っこちてた。
きっと教授クラスの人が缶にくっついてるおもちゃを見て、「なんだこれ」の発声と共に地面に捨てたものだろう。
ああ、いい拾い物をした。きっと日頃の行ないがいいからなのだろう。

でもぼくは、ホントはあまり興味がなかったんですね。
ジョージアのCMを見ても三人の識別さえつかないくらいで、サトエリ缶が「はずれ」と先輩のいう理由も分からない。ねこが目で見て人間の区別がつかないように、ぼくもあまり高いレベルまでいくと全く個体の識別がつかないので、「女優の『良さ』」などトントわからない。はっきりいって「矢田缶」なんかいらないのだ。



そういう経路で、めでたく先輩は「矢田缶」を手に入れることができた。
先輩も非常に喜んでくれたので、ま、なによりだ。

「電話だよ」
「電話だよ」

遠くで矢田の声が聞こえる。



先輩:
「電池がもったいないから、矢田缶のスイッチ、切ろう。」



・・・先輩、それ意味ないっす。





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