風船の結び玉3」別紙(超近代文学論集)



近代文学論
----若き詩人、かく詠えり----



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ブルーハーツ





まぁ、どちらを選んでも同じところに移動するのですが。

Yes,Noのどちらかを選んだ、ということは
大まかな詩の内容については考え及ぶところがあったとしていいのでしょう。

『常識にとらわれず、自分のやりたいことをやれ!』

熱いですね。熱い熱い。歌い方も熱いがメッセージも熱いのです。

ところがブルーハーツというのは、
常軌を逸した熱さというものに支配されたグループでありまして・・・。


これまでの歌謡曲の世界で、
「自分らしく生きるぞ!世間の常識なんてクソくらえだ、べらぼぅめ!」
といった意味で「常識」を否定する物/者はしばしば見られた。
俺は俺だぜ、とアウトローをてらうには格好のテーマなんでしょう。

ところが次の歌詞を読んで欲しい。
同じく「常識」を否定しているのだが、
否定する対象がそんじょそこらのミュージシャンとはちと違うようだ。

見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう


つまり"全部"否定しているのだ。
「世間」ではない。
「社会制度」でもない。
「世界」でも「宇宙」でもない。
それを含めた"全部"がでたらめじゃないか、と問うているのです。

私はあまり言葉が上手じゃないので、
唐沢俊一さんという文筆家さんの一文を引用しますと

『彼らが欲しいのは、この単調で退屈な現実社会と調和する考え方ではない。
まったく新しい理論で、足元から常識をくつがえすような、
そんな可能性を持った神こそを望んでいるのである』


つまり、そういうことなんですよ。
大きな意味での「常識」でさえ、彼らは脱却したいのです。

誰かによって決められた「正しい」生き方。
戦争以外で人を殺すと罰せられるという、理不尽な常識。

今まで洗脳おぼえた全部。

それらをすべて脱ぎ捨てて、彼らは自身の心と向き合いたいのです。


お分かりいただけるだろうか?

よく『本能以外は洗脳によって得られた知識である』と言われる。
彼らが欲しいのは純粋な本能の叫びなのだ。

だが現代は、社会制度との妥協点に生かされることが往々にしてあり、
その枠の外に目をやることは、強大な非常識というそしりの前に屈せざるを得ない。
まして、100人中100人が「あたりまえ」と答える常識に関しては
「枠の外」の存在の示唆でさえ許されない。
その「枠」が「=洗脳」であるにもかかわらず、だ。



そんな窮屈を知ってでさえ、
あなたは彼らの叫びに"No"と答えるのだろうか。







ちなみに、上記の唐沢俊一氏の引用は、
ブルーハーツとはなんの関係もない。
オウム真理教について書かれたコラムからの抜粋である。






それでもあなたは"Yes"を選ぶだろうか。










『答えは、心のずっと奥の方に・・・。』





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