駅へ向かう道




夏を担当する天の精霊は、その手にアイロンを持っている。そして隙間なく、ゆっくりと、押し付けるように街を焼き尽くす。だから人間の隊列はきれいに皺を伸ばされ、秩序をもって駅へと伸びるのだろう。混沌の具象として代表される満員電車は、そういった幾筋もの秩序を巻き取って成立する。
都心へ向かう電車は常に満員で、だから駅へ向かう大通りも常に満員だ。狭い歩道に通勤サラリーマンがひしめき合い、前の背中について歩く姿勢が最良の効率である景色の中、強制的に生ずる秩序は音もなく一衣帯水を形成する。こういった律儀な人の流れの集合体が満員電車だと思えば、電車の中にだって秩序を見出せるに違いない。
当然それは、大通りを駅に向かい列を成して歩く姿を「秩序」と呼ぶことのできる人間に限られた権利であり、私のようなはみ出し者にとっては大いなる詭弁である。満員電車はどうしたって混沌であり、朝の駅前の大通りも相変わらず混沌だ。私が毎朝、こんなにも薄暗く、細い道を通って通勤する理由は、「人の流れ」に加わることの嫌悪感に他ならない。要するに人ごみが苦手なのだ。
こんな暑い日にまで、すし詰めの大通りを歩くこともなかろう。私は薄暗い小路を歩きながらそう思う。
それにしてもこの道は涼しくて気持ちが良い。背の高い住宅に挟まれて日光が下まで届かないため、一年中じめじめとかび臭いのだが、今日のように日差しの強い夏の盛りにはひんやりとした心地よさを感じることができる。
現に、ほら、無意識にも私はスーツの上着を着たままだ。今ごろ大通りを歩いている人たちは、みな上着を肩に掛け、それでも暑い暑いと言っているに違いない。ごくろうなことだ。街にはアイロンの届かない隙間がたくさんあるというのに、どうして人は大通りを歩きたがるのだろう。
私はこの小路の上で、一度も人と出会ったことがない。誰もここを通らないのだろう。もちろん人がごった返していたなら私もこんな道を通らない。しかし何年も利用していて一人も出会わないのだから、大衆は愚かだと思わざるを得ない。

確かに、人がこの道を通りたがらない理由というのも分からないではないのだ。
まず右側の壁から電気のメーターボックスが大きく出っ張っている。実際はそこさえ抜ければ充分な広さが確保されているのだが、一見では非常に狭い道で、とても人間が通られないように思わせる外観を持つ。足元にはまばらに雑草が生えている。水道の元栓を収納する小型マンホールが散在し、それぞれの隙間から草が背を伸ばす。中央には左右両家の境界線を示すと思われるブロックの突起が長く続いており、そのへりをなぞるように水が溜まり、こけが生える。右側の壁の窓枠はすっかり錆びきって茶色のバラの花びらを形作り、左側は雨どいのパイプやエアコンの配線が張り巡らされ、その上を屋根から垂れるつたが覆っている。そして途中で道が折れ曲がっているので、入り口からでは行く先が見えず、行き止まりのように見える。
つまりこれは、道と呼ぶべきものではない。単に家と家の隙間である。私が通ることによって「道」と定義付けられているだけのことだ。だからもしかすると、周りの人も私がこの道を通る姿を見て、「どうしてわざわざあんなに狭くて暗い隙間を通るのか」と思っているのかもしれない。ここで両者の存を簡単にまとめようとすれば、価値観の違い、そういったことで片付くのだろうが、たぶん私のほうが正しく、周りが間違っている。暑いのだから、涼しい道を通れば良いのだ。もちろんこの意見も私の価値観でしかなく、周りがどう思っているのかは知らない。だが私が行動する上で一番大切なものは私の価値観なのだ。

私が壁面に触ると、白い粉がさらさらと落ちた。いけないいけない、スーツが汚れてしまう。まがいなりにも営業をしている者がスーツを粉まみれにさせて会社へ行くわけにはいかない。右側の壁は漆喰塗りなので、石灰の粉が表面に湧き出ているのだった。コンクリートを使えばこんなにも汚くはならないだろうに、どうやら和物にこだわる昔気質の大工の仕業のようだ。壁すれすれを通る者の身にもなってほしいものである。
そうだ、私はいつも左側の、コンクリートの壁の近くを歩くのだった。そうすれば白い粉が付くことはない。
ただ左側には水溜りがある。屋根からプラスチック製のパイプが下に伸びてきていて、少しずつ水を排出しているのだ。だから今度は革靴が汚れないように気をつけなければならない。泥まみれの靴で、営業まわりなどできるはずがない。もし私が編集の仕事についていたなら、靴の汚れなど気にせずに、真っ直ぐ歩くこともできただろう。

私はもともと編集職が希望だった。文章を書くことが好きで、出版社に入社した。それなのに短い新人研修が終わった後、配属された部署は営業だった。上司は新人の私に対して「編集として適正のある人物でも、経験として一二年営業をやらせる場合がある」などと言っていたが――――あるいはそれが真実なのかもしれないが、より身近な真実として、私は営業職に就いて今年で十年目になる。
私は営業マンとして、かなり優秀である。井の中の蛙かもしれないが、少なくとも、我が会社という井戸の中では、相対的には優秀である。正しく言い換えれば、私以外の人間は、あまりにも仕事ができなさすぎる。だから会社は、私を営業から放したがらないのだと思う。私が営業からいなくなったら、この会社は倒産するだろう、そこまで明言してよい。すべてわかっている。だから小さい会社は嫌なのだ。
小さな会社であればいろいろと自由が利き、好きなことも多少はできるだろう、そう考えて私は、日本に二千以上ある出版社のうち今の会社を選んだ。まさか人付き合いの苦手な私が外回りをやらされるとは思わなかった。計算外だった。実際、私のように人がいい場合は、かえって小さい会社では自由に行動ができないようだ。例えばところかしこに問題が生じた時、私一人でいちいち面倒を見なければならない。そんなことをしているうちにいつの間にやら「優秀」になってしまい、会社の現状維持のために出世も現状維持を強いられる。雑誌の編集など割と近い夢だと思っていたのに、なかなかどうして、暗くて細い道である。

水溜りを注意深く越えると、今度はエアコンの室外機がある。この室外機は、いつも朝から温風を壁に殴りつけている。横殴りの風に、バランスを崩さないようにしなければならない。地面の左側は雨どいから排出される水の影響でコケがびっしりだ。右側は砂利が敷かれているため、しっかりと足元を確かめて歩かなければならない。ここさえ越えれば、もう難所はないはずだ。
ほら、もう小路の先から光が漏れてきている。この道は二ヶ所、左へ右へと小さく、二十度ほどの角度で折れているが、基本的には直線に近い。先のエアコンの室外機あたりで、すでに道の向こうにある駅前の大通りは見えてくるのだ。あとは左、右と曲がれば残すは一直線であり、他に服を汚す障害は何もない。さあ、先を急ごうか。
私がゆっくりと砂利の上を歩いていると、上から水滴が落ちてきた。ピシャリ、と肩に落ち、顔にはねる。そうだ、雨が降った翌日は上方にも気を付けなければいけなかった。ここは大きく屋根が張り出しているのだった。きっとスーツは、それほど汚れはしなかっただろう。だが帰ったら、念のためにクリーニングに出したほうがよさそうだ、何しろ高いスーツなのだから。また妻に叱られる。
強い温風を抜けると、後は二つ曲がって脱出となる。左に一回、右に一回。だがその間に大きな段差がある。だいたい私の膝までの高さに上下にずれているため、私はそこを上らなければならない。このとき段差によって、スーツのすねの辺りを擦らないように足を上げる必要がある。これがなかなか神経の使う作業なのだ。
さて、もうあとは直線を抜けるだけだ。まっすぐ歩けば駅前に出る。道も残りは平坦で、何も気を使うことはない。私は薄暗さの中、無機質な壁の間を通常の速さで歩いた。

違う。
いつもと何かが違う。
私は顔を上げて、前を見た。普段は角を右に曲がればすぐに入ってくる日の光が、何かにさえぎられて少なくなっている。荷物が置かれているのだろうか。トラックが道の出口をふさいでいるのだろうか。私はもう少し歩を進めた上で、よく目を凝らす。間も無く分かった。人がいる。
こんなことは初めてだった。今まで私は、この道を通る人間など見たことがなかった。ところが今目の前に、私のほうへ向かって歩いてくる人物がいるのだ。私はなさけないことに、大きく辟易してしまった。
彼は道の中央を、非常にくたびれた様子で歩いていた。逆光で良くは見えないのだが、そのシルエットから察するに男性で間違いはないだろう。彼はやせ形でひょろりと背が高い。私も背丈は割とある方なのだが、前から歩いてくる彼も私に負けぬほど長身だ。平面的なシルエットからでは彼についてはこの程度しか読み取れない。つまりはこの情報の少なさが、私をたじろがせるに充分な要素となったのだろう。謎の人物が、この狭い道を前方から歩いてくるのである。
彼との距離はしだいに縮まる。前からくる彼は私をよけるつもりがないのか、道の中央を進み続ける。この細い通路では、互いによける意思を持たなければ、すれ違うことは難しいだろう。どうやら私が主体となって道を譲らなければならなくなりそうである。
私は彼をよく観察した。どうだろう、年齢は私よりも少し上くらいか。でもだいたい同い年くらいだろう。もしかすると私より年下かも知れない。ああ、年齢など、影だけを視て分かるはずがない。それにしても彼は何者だろうか。この時間、この道を通る人間など、ここ数年、私は知らない。しかも駅へ向かうのではなく、駅からこの道を通って住宅地へ出るのだ。どうしたのか。忘れ物でもしたのだろうか。よく見れば彼は手に何も持っていない。かばんを忘れたのだろうか。そんなばかな。しかしかばんを持っていないとすると、彼はどこに行くのだろう。この辺りにある会社へと行くのだとは思うが。あのアパートのテナントの、小さな法律事務所だろうか。
距離はさらに近付く。ようやく逆光によってぼやけていた彼の輪郭がはっきりとした。しかしまだ顔の様子はほとんど認識できない。私は彼の存在に気が付いてからずっと不気味なものを感じていたのだが、その原因がここにきて分かった。足音がしないのだ。私の足音は左右の壁に反響してよく響いている。ところが彼の足音は全く聞こえてこないのだ。きっとそういった歩き方なのだろうとは思いつつ、前から来る人物が影だけの存在であったらどうしようかと、多少不安になった。私はゆっくりと歩いてみた。私の足音も消えた。
彼はためらうことなく直進する。薄暗い道の上、背中に光を浴びて、影だけの存在になって歩いてくる。はっきりとは断定できないが、同じ年ぐらいの疲れたサラリーマンだ。まだ後方の光によって彼の体の前面は闇の中であり、顔は確認できない。しかし全身からくたびれた感が漏出されており、年齢も自然と想像される。そういった重たい雰囲気は、私の中で、彼が前方に両手いっぱいの『闇』を持って近付いてくるような錯覚を生じさせるのだ。光を背景にし、『闇』を少しずつその身に集めながら、『闇』へと向かって歩いている、そのような感覚で彼の歩みを視てしまう。もしかしたら、彼は『闇』そのものかもしれない。『闇』が少しずつ、私のほうに近付いてくるのだ。
『闇』、おまえは何が目的だ?私か?私に用事があるのか?それともこの道の向こうに目的のものがあるのか?この先にいっても何もないぞ。ただ道を抜けて、光の下に出るだけだ。『闇』、光にあたってしまったら、おまえは消えてしまうのではないか。引き返せ。おまえの望む『闇』はおまえの後ろにある…。
どうしてだ?どうして光は前にも後ろにもあるのだ?おまえの後ろには光がある。おまえの行く先にも光が。それではここはどのような場所なのだ?…そうか。この小路自体が闇なのだ。彼が闇を集めて近づいてくるのと同様に、私も闇を集めながら歩いているのだ。二人して、闇に向かって歩いているのだ。
私と彼は、あと数メートルというところまで迫った。彼の存在感が現実的になる一方、しかしまだ彼の顔は確認できない。私は、私に向かってくるそれが本当に影なのではないかと思い始めた。実体のない、影そのもの。
影は闇を集め、私へと近付く。私も闇を集め、彼へと近付く。私は、二人の間にある闇が、次第に濃縮されていく気配を感じた。二人の背後には光が伸びる。二人の間にある闇は次第に圧縮されていく。いずれ二人の距離が極限にまで詰まったとき、我々の間に、闇によって作られた大きな穴が現れ、私も、彼も、その穴に吸い込まれてしまうのではなかろうか。それとも圧縮された闇が反発して、全ての光を吹き飛ばしてしまうかもしれない。
私は怖れた。前から歩み寄る影におびえた。私は来た道を引き返そうかと思った。しかし私は振り返ることが出来なかった。もし私の進行方向、影の向こうに見える光よりも、私の背後にある光のほうが明るかった場合、私の背中は闇に支配され、私はその影に飲み込まれてしまうような気がしたからだ。ああ、分かっている。隙を見せてはならない。闇はいつだって私を吸い込もうとしている。
いつしか私の歩みは完全に止まっていた。逆に私は両足で踏ん張らなければならなかった。私は今、大きな闇に吸い込まれようとしている。二人の間にある高濃度の闇が、私の全身を強く引き付ける。退くことは、不可能だ。だめだ。もう抜け出すことはできない。私は闇の穴に落ちてしまう。私は震えた。震え続けた。目の前の強大な物体に震えた。この引力からはもう逃れられないという事実に震えた。闇は近付き、私の体も闇へと吸い寄せられる。もう限界だ。闇の圧縮は極限だ。影とは至近距離にある。強い引力、私の体は外的に振動を強制される。地面がゆれている。両側の壁がきしんでいる。やめろ。私にその闇を近づけるな。私に手渡そうとするな。それ以上近付けたら、私もおまえも闇に吸い込まれてしまうぞ。やめろ。くるな。……くるな!



影は私の肩にぶつかり、そのまま私の横を通り抜けていった。ごめんなさい、そんな声がかすかに聞こえた。
途端に引力の呪縛は解けた。私は息が上がり、大量のあぶら汗をかいていた。後ろを振り返ると、そこにはくたびれたサラリーマンが背中を丸めて歩いていた。

私は息を整えた。そしてまっすぐと顔を上げた。その小路の先に、光だけが見えた。






もどる




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送