古紙の値段が急騰している。
世界中でエコロジカルが唱えられて久しい現代において、再生紙というのは非常に需要が高くなった。
今の風潮の中では、製紙会社は木材から紙を作るよりも再生紙を作っていたほうがいろいろと問題が少ないわけだな。確かに「再生紙を作っていない製紙工場」など、風当たりの強さは否めない。
コストの面でも、国内で工面できるぶん、小規模経営でやっていくにはもってこいの製造スタイルである。
・・・はずだった。
国内での古紙が不足してきた。
各地方自治体が収入源として回収を始めたために企業へまわらなくなった、ということもあるのだが、もともとほいほいと集まるようなモノではないのだ。
再生紙の原料としての古紙の需要は増える一方。
古典的な経済学通り、古紙の値段は高騰の一途を辿る。
かつてはゴミでしかなかった古紙は、いまや外国からの輸入に頼らなければいけない高級な資源に変化した。中国あたりから、毎日のように「安い紙くず」が船に乗ってやってくるのである。日本のお金で。
基本的に、紙の値段は安い。
薄利多売、この言葉に象徴される製紙業は、原料の安い仕入れを強要させる。
安く作らなければすぐに赤字経営に落ち込む。
「木材から作るより、古紙から作ったほうが高い」
そんな時代において、再生紙製造は製紙工場の癌細胞なのだ。
日本人はブランドが好きである。
「再生紙」
そう書いてあれば、「あ、環境にやさしいのね」と思って、そこに漢字三文字以上の価値を見出す。国発行の教科書に再生紙が使われていなかったら、今や非常識とまでいわれてしまう。とにかく再生紙の定義など知らなくても、「再生紙」というブランドのロゴが書いてありさえすれば、不可侵の価値をそこに生ずる。
さて、では「再生紙」の定義は一体どういったものになるのだろうか。
何をもってして「再生紙」と呼んでよいのだろうか。
答えは簡単である。
『「再生紙」という言葉に定義は無い』
つまり、ほとんどが天然パルプでも、少しだけ古紙が使われていたうえで、作った会社が「これは再生紙です」と言えば、それは立派に再生紙なのだ。古紙が1%しか使われていない場合も、「再生紙」というロゴが貼られて、「環境にやさしい紙」として市民権が得られる。99%が伐採された木材から作られているにもかかわらず・・・。
そして製紙会社は、その漢字三文字の、実体の無い不思議な魔法に頼るしかなかった。
「再生紙」という言葉に定義が無いことを利用するしかなかった。
ここで具体例をひとつ。
某製紙工場では、マツザ○ヤの包装紙の生成を一括して担当している。
このマツザ○ヤの包装紙、
「この紙には再生紙が利用されています」
とはっきりと書かれているのだが、では何パーセントの古紙が使われていると思いますか?
10%?
5%?
2%?
1%?
きいておどろけ、
こたえは「0%」だ。
まったく古紙など使用していないのだ。
ふつうの、新しい紙なのだ。
新しい紙に、黄色い染料を加えて、古い紙っぽく見せているだけなのだ!
でも、「再生紙」という言葉に定義が無いので、何の問題も無い。
おそるべし、マツザ○ヤ。
「・・・企業がこんな調子じゃぁ、国がどんなにがんばってもダメだろうなぁ・・・。はい、リーチ!」
某製紙会社に勤めている同期の友人は、そうつぶやいた。
古紙0%の再生紙を売らないといけない会社に対して、同情の余地もないことはないのだが・・・。
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