日記帳。



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2oo3.o3.2o____春はまだかと

寒い。
春はまだ遠いようです。望月です。

なんかクロロホルムの蒸留に失敗した人がいるらしく、ただいま研究室では異臭騒ぎです。よくあることですが。
そういうわけで、換気するためすべての窓が開放されているのですが、もう寒いの何の。
こういう時に
「はやく春が来ないかなぁ・・・」
なんて思ったりします。

『春が来る』
この言葉になにか心浮かれるものを感じたり、たとえば春の足音がかん高く聞こえたりするのは、春が自分の望む季節で、心情が春の方向へ向かっているからであり、そういった「感情のドップラー効果」は春の猛然たる訪れを期待させる力強さがある。
しかし、ま、季節の歩調というのは一定であるから、いつまでも寒いこの頃には、もどかしい気持ちにさせられます。

名古屋の桜の開花は24日らしい。
桜が咲く前に読んでほしい本があるので、ちと紹介。
梶井基次郎の「檸(れもん)檬」に収録されている、
『桜の樹の下には』。
4ページくらいの短い小説なのだが、ぼくはこれを読んで以来、怖くて桜の樹を直視できません・・・。
桜が咲く前に読んでほしいなぁ。
あいかわらず、とりとめのない文章ですいません。


追記:(2oo3.o9.12)
「青空文庫」で読むことができます


2oo3.o3.22____ハングリーな精神で動こう

母の買ってきた空気ベットのエアーが抜けてきて、なんだかペコペコしてきて、毎朝ベッドの上で溺れている望月です、こんばんワ。
空気を入れなさい。


今日はウチの大学で合格発表をやっていた。えらく遅いけど、たぶん後期日程とか、特殊なやつかと思われます。
その証拠に、とても人数が少なかった。ぱら、ぱらと、まばらな人かげ。貼り出された紙も二枚だけ。胴上げしようと待ち構えているラグビー部員の数の方が多そうだ。

それでもめちゃめちゃ盛り上がっていましたよ。
とにかくラグビー部は容赦が無いのだ。
全力を出して放り投げるのが礼儀だと勘違いしているヤカラが、「競うように」合格者を天高く放りあげる。本気でハラハラした。なにかの大会と間違えているのでは無かろうか・・・。

まったく、せっかくの休日だというのにご苦労な話だ、ラグビー部。そしてオレ。



今日は研究室でT先輩と会った。
T先輩は今年で卒業。さみしくなるなぁ。
卒業式は25日。もうすぐである。
窓の外の胴上げとのコントラストで、なんだか春愁ヒトシオですわ。


2oo3.o3.24____あの子 どこへ行ったやら

千と千尋の神隠しがアカデミー賞の長編アニメ映画部門をとったらしい。
まぁ当然だ。
これでディズニーがとるようなことがあったら、日本は鎖国した方がいい。

この千と千尋、外国では
『Spirited Away』
という名前で公開されているらしい。

辞書で調べてみたら、spirit awayで
「-- vt.さらう, 神隠しにする」
となっていた。直訳なんですね。

ところがこの「神隠し」という言葉、韓国ではその概念自体が存在しないんですって。だから韓国で公開されるにいたって、そのタイトルをどういう風にしようかで、かなり悩んだと聞きます。

で、結局決まった題名が、


「千と千尋の行方不明」


な、なんか違う。


2oo3.o3.26____うらら うらら

ぼくが再び 目を開いた時




その世界は すべてを失っていた





夢も




希望も




現実も




そして・・・







その日の「午前」も・・・。







うわあ!午後1時だ!









さいきん遅刻が多過ぎて、研究室内で評判がた落ちの望月です。こんばんワ。どんまい。



きょうは暖かかったですね。

桜の樹にもようやくつぼみがちらり、ほらり。
枝全体が、ぼんやりとピンク色がかってきています。
「ホントにもう、こんな季節なんだな」
ようやく実感。 いろいろとあせらされる今日この頃。心穏やかに桜の樹を見られるようになるのはいつの日か・・・。


きのう卒業式がありました。
卒業する同じ研究室の女性陣はみんな「晴れ着」。
卒業式でしか着ないであろうと思われる「はかま」を、全員が着てやってきました。
「卒業式でしか着られない」ところに価値があるのでしょう。

T先輩はスーツ姿。
彼はどうやら、どこかで飲まされた模様。
酔っぱらって廊下で寝っ転がり、卒業という名の「解放」を体中で表現していました。・・・そして「介抱」を体中で要求していました。


そんなこんなでホンノリさくらいろなこの季節、
うーむ、ぼくもそろそろこの色になじんでいかなくては・・・。


2oo3.o3.28____それって僕のよりはやく進むって本当かい?

『カメラが付いていなければ、そんなものケイタイではない。』


友人はさらっと言い切った。

「ケイタイ」
この言葉が「携帯電話」の略であることも人の意識から消え去られようとしている昨今、友人のその言葉を否定することは一般に時代遅れなのだろうが、
『カメラが付いていなければ、そんなものケイタイではない。』
うーん、ケイタイとはますます不可思議な機械になりつつあるなぁと考えさせられる。

カメラ。
メール。
インターネット。
ナビ。
カラオケ。
目覚まし時計。
動画撮影。
テレビのリモコン。
鏡。
そして電話。
なんじゃこりゃ。

電話を持ち歩く、これは確かにベンリなものであろう。生活に組み込まれ、必須の人もいよう。しかしその他のオプションについてはどうだろうか。一体化させる必要があるのだろうか。

たとえばカメラ。30万画素程度のおもちゃのデジカメがついているケイタイ。
「写すよー」
ポケットから取り出すのはケイタイである。

たとえば時計。いまどき百円均一でも売ってそうなデジタル時計がくっついているケイタイ。
「今何時かな?」
ポケットから取り出すのはやはり同じケイタイである。


何をするにも「ケイタイ」を取り出せば間に合ってしまう。それはぼくは随分と美意識に欠けると思うのだ。これは別にケイタイの形体が無機質であることだけを言っているのではない。異なる作業をしているにもかかわらず、「その人」が「ケイタイ」を持っているという構図が変わらないことが無機質であるといっているのです。
ぼくはけっこう時計が好きで多少はこだわっている方なので、時間を確認しようとするたびにケイタイを取り出す人にはサムケがします。腕時計とか、見ないのですか、君たち。やはり「その人」-「ケイタイ」の構図ですか。それが今時のオシャレですか。

呼び出し音も困ったものだ。16和音だか32和音だか知らないが、きれいな「演奏」が流れる。確かにきれいなメロディーだ。だが、声まで呼び出し音にできるようになり、その方面では行き着くとこまで行き着いてしまった。そしてそこには何も無かった。時代の矛先は迷っている。時代の矛先に立つ人間も迷っている。そして人は黒電話の「ジリリリ・・・」を呼び出し音に設定する。・・・時代の最先端はなにを生んだのだろうか。


ぼくは、ケイタイを持つな、と言っているのではない。より新しい、より多機能のケイタイを持つことがオシャレだと感じているのなら、それは間違いだ、そう言いたいのです。
道具にこだわる、それはすなわち愛情だと思うんです。こだわって作られた道具を見つけ、その自身のこだわりと合致した道具を用いる、その愛情がオシャレだと思うんです。

「より多機能なものを・・・」

それはこだわりではありません。多機能は売れる。だから作る。最新だから買う。それはオシャレではありません。愛情ではありません。あなたは「便利な機械」を手に入れたに過ぎません。

『それでいいんだよ』
そういう意見をお持ちの方は、それでもかまいません。大量生産された「便利な機械」を使えばいいでしょう。

『流行に乗り遅れちゃう・・・』
人の流れというものが生ずるにはそれなりの理由があり、流行にもそれなりの価値があります。でもそこから一歩、自分の足で踏み出すことがオシャレじゃないでしょうかねぇ。流れに逆らうのはいろいろ大変ですけど・・・。

『カメラが付いていなければ、そんなものケイタイではない。』
死ね。




・・・まぁそんなこと書いているワタクシですが、正直、時代の流れというものの強烈さにヤラレかけてます。友人からしょっちゅう
「いいかげんにケイタイ買えー」
「いいかげんにケイタイ買えー」
と言われて、ホトホトまいっております。

・・・プリペイドケイタイでも買おうかしらん。


2oo3.o3.3o____ポケットのコイン集めて

きのう、book offに本を売りに行きました。
さすがにマンガ本の量がシャレにならなくなってきたので、少しずつ整理してゆくことにしたわけですね。それでまだ売れそうな新しい感じのきれいな本を十冊ちょっとみつくろって、紙袋に入れて、えっちらおっちらお店にもって行きました。

あまりカッテを知らなかったのですが、とりあえずお店の人に渡したら何とかなったようで、住所とか書いて、

「五分ほどお待ちください」

とか言われました。




お店の本を読んで待っていたら、五分後、

「本の売却でお待ちの望月様ー」

みたいなことを叫ばれまして。



のこのこ店員さんのところに行きまして。









「えー、望月様。13冊で150円になりますがどうなさいますか?」












「・・・・・・150円ですか。」

とんだ大恥です。


2oo3.o3.31____まわる まわる 円舞曲

フィギュアスケートって、技術点を廃止したほうがいいような気がする。
あまりジャンプの回転数に価値を感じないんだよね。
「4回転ジャンプは難しいから、得点が高い」
そう言われたって、逆にジャンプによってリズムが崩れるような演技もたまに見られるし、それでもジャンプしだいで順位が決まってしまうのなら、演技って何だろうとか思っちゃう。ジャンプのためのツナギなの?

もう少し「芸術性」を重視した採点だといいなーと思う夜中の二時。




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