日記帳。



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2oo3.o3.11____今日もまた足の踏み場もない 小部屋が孤独を甘やかす

・・・などとノンキなことを言っている場合ではない。
オカンがやってくる。
望月は重い腰をあげた。
オールナイトで掃除をカンコウ。
へとへとでガッコに来てます、こんにちワ。

ぼくはそうとう心がアップテンポでない限り、部屋の掃除なんざしません。
「常に部屋をきれいにしておく」
という行為が、自身を成長させるとは思えないのです。ふーん。
他に有効な時間の使い方があるはずだ。

「母が来る。」
そうなると話は違って、「自身の成長」などふざけたことを言っている状況ではなくなる。アマタある「隠ぺい」に、徹夜までしちゃうのだ。

オカンは、ぼくがガッコに行っている間に、合鍵で部屋に入って待っているらしい。

アホなことしてなければいいけど・・・。

・・・風が強い・・・。


2oo3.o3.12____冷蔵庫あけりゃ なんにもありゃしないや

ぼくは、ふとんをふた組持っているのですが、いつも適当に組み合わせて、適当に寝ている。掛け布団も敷き布団も、とっかえひっかえ使っている。

母:「来客用のふとんって、どっち?」

わかりません。



母:「この試供品のハンドクリーム借りるねー」
僕:「え?ハンドクリームなんか、家にあったっけ?」
母:「これこれ。『ダボ』って書いてあったから洗顔フォームだと思って、はじめ顔に塗っちゃったよー」
手に塗りはじめる母。
僕:「・・・。」

これ、[ヘアリンス]って書いてありますが。



母:「これ、マクラに使っていい?」
僕:「あ、ちょっと待って、たれぱんだはダメ。」
母:「いいじゃん。ちょうどいい大きさなんだもん。べりべり。」
僕:「ああっ!まだ袋から出してなかったのに!」

・・・ひどい。


2oo3.o3.14____すきなものは すき

ひと昔前は、少女誌に掲載されているマンガはすべて「少女漫画」と呼んで問題が無かった。
しかし昨今では、「少女誌に掲載されているマンガ」は更に細分化した定義がなされた上で、その1つ、だいぶ特殊な分野として「少女漫画」と呼ばれるヨミモノが存在する、といった感覚が生じつつある。

この変化のイシズエとなっている社会傾向として、「性別や年齢に依存する既成概念の消滅」があげられる。
かつては「少年誌」という名の雑誌は「少年」に限られたヨミモノであり、「少女誌」という名の雑誌は「少女」に限られたヨミモノであったのだが、近年ではそれぞれの雑誌に掲載されている個々のマンガにおける絶対的価値というものに目が向けられるようになった。それゆえ、毎週『ジャンプ』を購入する女性や、book offで花とゆめコミックスを立ち読みする男性が急増し、同時にそれを羞恥と感ずるものはいなくなってきった。年齢においてもまた然りであり、大人が子供向けのコミックスを読むことにテイコウを感じなくなった。昔はコロコロコミックス掲載のマンガが大ヒットセラーになることなど考えられなかったのだ。

情報化社会。マンガについての情報でさえそれは例外ではなく、かつてきっちりと分かれていた「少年漫画」「少女漫画」も、互いに互いを侵略するようになった。シキリが外れたとき、二つが交じり合うのは自然の摂理である。もう実際のところ、どこまでが「少年漫画」でどこまでが「少女漫画」なのかはわからないのだ。

そういった意味で、「少女漫画」という言葉自体がかなり狭義的なニュアンスを付随させるものとなってしまい、今の少女漫画の細分化に至るのである。


・・・とまぁ、以上はぼく個人のマニアックな見解であり、ここから先はより広義的な「少女誌に掲載されている」という意味での[少女漫画]について、ひとこと語りたいと思う。長い導入ですね。


雑誌にはそれぞれ、雑誌特有の色というものがあり、それを保つための規律が漫画家には課される。成年誌では女性の裸の描写が強要され、テヅカオサムはそこでかなり苦労したらしい。少年誌ではわかりやすさが、少女誌ではリアルな恋愛が要求される。その中で自分の色を出せというのだから、ムチャといえばムチャなのだ。ちゃちゃもちゃのちゃ。

漫画家はいつしか、赤系でも青系でもない、自由な、ノンジャンルの、自分の色のマンガを描き出した。そしてそれは価値を認めざるを得ない出来であった。それが時代の流れなのだ。出版社にそれを拒絶する力はない。本を買うのは「時代」なのだから。そして同時に出版社は、自身の歴史あるポリシーがすこぶる古典的であることに気付くのである。

かつて、囲碁のマンガを受け入れる雑誌があったろうか。岡田あーみん色の強いやおい漫画家が存在しえただろうか。そもそも岡田あーみんは少女漫画家なのだろうか。

岡田あーみん、さくらももこの、非古典的少女漫画家によって少女誌『りぼん』の人気が支えられていたのは隠しようのない事実である。武内直子による、なんか変身するときにキメゼリフを持つヒロインの話が、『なかよし』に巻頭カラーで掲載し始めたとき、
時代は多様化へと向かっている。
そう痛感したのも今となっては懐かしい。

そんな多様化時代の流れの中で、「女性が読んでも面白い[少年漫画]」「男性が読んでも面白い[少女漫画]」が生まれた。マンガの影響で囲碁を始める女性が急増している事実はそれを確かに証明するだろう。それでも出版社側としては自身の「歴史ある」スタンスを崩すわけにはいかないので、古典的ポリシーの惰性に甘んじているわけだが、実際はすでに[少年漫画][少女漫画]という名称は形骸化されており、内容に関してはその名称通りの差異というものは存在しないのである。


ふぅ。
というわけでぼくの少女漫画愛読の趣味が正当化されたところで、たぶん逆効果。ここで男性にお勧めの[少女漫画]を紹介しよう。


----桑田乃梨子「男の華園」----

学園ものばかり描いている人なので、若い人にはかなり親近感が沸くと思う。『おそろしくて言えない』が代表作とされているが、『男の華園』はそれを超えたのではなかろうか。素人は『卓球戦隊ぴんぽん5』から入ることを勧める。『真夜中猫王子』『蛇神さまといっしょ』などは正直男性向きではない。

----榛野なな恵「papa told me」----

これはドラマ化が決まったので、後で特集を組んで述べたいと思う。いろんな側面から観察された、立体的な「人生」について教えてくれる、がんばるための教本である。

----津田雅美「ブスと姫君」----

彼女の作品では、アニメ化された『彼氏彼女の事情』が一番有名だが、それ以前に短編集が3つ単行本化されており、それらの評価はとても高い。その一番初めの本がこの『ブスと姫君』である。ダイナミックな心理描写が心地よいテンポを生んでおります。

----やまざき貴子「可視光線」----

『っぽい』で有名なやまざきさんだが、短編集の多さでは他の追随を許さない。派手なタイムマシンシリーズが多い中で、ピュアな学園ものである『可視光線』は心洗われるものがある。君も今井川中島といっしょに泣け。

----やまざき貴子「アカデメイアの冒険者」----

二人の子供が、大学という環境の中で学ぶ「大人」について一喜一憂する物語。2巻が泣ける。泣け。

----岡田あーみん「ルナティック雑技団」----

『お父さんは心配性』で一世を風靡したあーみん、ちょくちょくアホなもんを描いているらしい。全三巻。アホ過ぎて涙が出る。たまには時間を無駄に使ってもよいでしょう。

----竹本泉----

数少ない男性少女漫画家の1人。本名:竹本武。『あんみつ姫』以降ヒットは出ていないが、わかりやすい絵や恋愛描写、そしてとっぴなSFには定評有り。



えー・・・、
結局なにが言いたいのかというと、

「ぼくは桑田乃梨子のファンである」

ということです。つまるところ、一行。


2oo3.o2.17____沼でもどこでも住めるのさ

14日にオカンが静岡に帰った。名古屋で下宿しているぼくの部屋はふたたび占有物となる。いやぁ、ようやく部屋が広くなりましてん。

人口密度が半減して占有面積が倍加した、というのもあるのですが、「部屋の広さ」の原因の多くは、単純に床面積が増えたところに帰する。
オカンが掃除をしてくれたらしく、部屋はだいぶ片付いた。たまっていた洗濯物はすべて洗われてたたまれてタンスに収納され、ここ数年「服をたたむ」などしたことない。散らかっていた本はすべて本棚に並べられ、所在に戸惑うガラクタはすべて透明の袋に「ぽぽいのぽーい」である。
おかげで来た時よりも美しくなったこの部屋は、寂しいほど広くなりましたわ。

・・・なんか文章を修飾過剰にすることでいろいろとゴマカスところがぼくにはあるので、たまには素直に書きます。

オカン、ありがとう。


その上オカンは、「空気ベット」なるものを引っさげてやってきた。
我が家のせんべい布団は「あれよあれよ」のうちにフカフカになった。このベット、コンセントにさしてリモコンのスイッチを押すと空気が自動で入り、45秒で完全に膨らむという、どうやらリモコンの使い方を間違えているとしか思えない装備を持つシロモノで、夜中の通信販売のテレビで売っていそうな簡易なやつだ。
「へい、ジョニー、調子はどうだい。」
「ああポール、まるで空に浮いているみたいさ。」
「Hahaha.」
「Hahaha....」

その空気ベッドの上にセンベ布団をのせて寝ているのだが、慣れていないせいか、余計に腰が痛いのだ。しょせん人間なんて、どこでだって寝られるということなんだろうね。「快適」とは、「どれだけ慣れることに時間がかからないか」に帰属する指標なのでしょう。

でも、ま、ありがとう。







母:「あら、大きすぎたわね。」


2oo3.o3.19____おろしたての戦車で ぶっ飛ばしてみたい

ついに戦争の始まりである。
こりゃまた唐突ですな。
国連なんてものは飾りでしかない、今回それははっきりしましたね。
あるいは「アメリカ」が「国連」なのでしょう。

自分の思うことを国別に一言ずつ書いてみる。
しょせん一学生の考えなので、ふーん、くらいに思って読んでほしい。
あくまでも「国」をひとつの「物」として考えて以下を語っているのであって、「国民」の意見というものをその中に含めていないこと、そしてぼく自身、とうぜん個人レベルでは戦争に反対であることをご理解願いたい。


アメリカ
この国は何故戦争がすきなのだろう。とりあえず「戦争」が「目的」であるとしか思えない。この反戦ムードの中で、どうして武力行使などという決定ができるのかしらん。たぶん経済の発展か、石油の利権、土地の侵略とかしたいんだろ。世界を支配したいんだろ。アメリカは相当、評判を落としたね。そんなに戦争が好きなら、国内でドンパチやればいい。きっと国の経済もうるおうぞ。

イラク
この国もよくわからない。もともと12年前から[国連]に武器を捨てるように言われていたわけでしょ?でもそれをマル無視していたわけでしょ?わからないなぁ、フセイン。何がしたいんだろう。プライドかなぁ。アメリカに反抗したいだけなんだろうなぁ。

イギリス
この一件でイギリスはかなり株を上げたと思う。しっかりと国民と話し合って、しっかりと「国」の意見を言って。最後に「アメリカと一緒に武力行使する」と、上の人の独断で言っちゃったのはザンネンだけど、それまでの国の対応は、他の国の国民の羨むところでありましょう。

フランス
戦争、反対。この国はそれ以外に何か言っただろうか。

日本
ぼくは、日本の対応は初めのころの立場でよかったと思う。適当なこと言ってごまかしてれば良かったんじゃないかな。
『ショー ザ フラッグ!』
そんなことを総理に言っているのは日本国内の人だけだし。もともとアメリカから見て日本なんてアウトオブサイトなわけなんだよねぇ。
結局は「武器作ってる国」と「武器作ってる国」が戦争するとかしないとか言っているわけでしょ?くだらん。日本がすべきことは、「君たち、くだらないよ」と言って、適当にあしらうことだと思う。戦争なんて、くだらないことだから。「勝手にしろ」そう言って無視してればよかったんじゃないかね。金持ち喧嘩せず。


・・・やれやれ、でもやっかいなことになったな。
ブッシュもフセインもキ○ガイだからなぁ・・・。
もうなるようになるしかないんだよなぁ・・・。




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