日記帳。



10月前期 10月中期 10月後期

もどる

2oo2.1o.o1____北へ南へ、東へ西へ

時の経つのは早いもので、いつの間にやら、あれよあれよでもう10月だそうな。
なんてこったい。
今年もあとクオーターを残すのみ・・・そう考えると、まだ余裕があるような気がするけど、ま、あっという間に過ぎていっちゃうんだろうな。

今月はめずらしく、ぼくの予定がいっぱいだ。
3日に学会のリハ、6日にその本番、8日に研究室行事で遠足があって、16〜19日と25〜27日は筑波の研究施設に出張だ。

これ、一個一個がめんどくせぇんだよなあ。
予定がかたまるときってのは、こういうもんだよなぁ。
筑波の出張も、普通あんな日程ありえないよ。名古屋から茨城まで何時間かかると思ってんねん。われ。

鬼スケジュールです。神も仏もありません。
さすが「神無月」といったところでしょうか。

ま、来月には神様も、出雲の寄り合いから帰ってくるでしょうから、今月はがまん、がまん。


2oo2.1o.o2____まきおこせ、嵐!嵐!

台風は、そんなに嫌いではない。

打ちつける雨粒、木々をしならす暴風。舞う小枝は遠い闇へと吸い込まれ、地上にあるすべては右へ左へと押しこめられる。
休むことなく地を痛めつける雨。痛ましいほど頭をぺこぺこしつづける大木。
うーむ、外国じゃあ台風に女性の名前をつけるというが、どこでも女性は強いらしい。

ぼくは台風が好きだが、別に「自然の息吹を感じることができるから」とか、「この強い雨と風が、ぼくの心の汚れを洗い流してくれるから」とか言いたいわけではない。疲れています。ただ単に「非日常性」が好きなんでしょうね、ぼくは。
雨は横に飛び、靴の中はびしょびしょ。傘が飛ばされないように姿勢を低くしてしっかり握る。しかしそれらが、なぜか楽しい。それは「非日常性」のなせる、意外性の期待感であろう。

ぼくは台風自体のみが好きなのではないよ。台風一過の景色も含めて好き。その中にも「非日常性」があふれている。
「お祭りは終わったあとの静けさを楽しむのがツウだ」とかヘリクツこねてるおっちゃんがいたけど、そんなんじゃなくて、台風のあとにも軽く台風があるってこと。

ドングリだらけの道路、ドミノ倒しになった自転車、ギンナンを拾うおばさん、流れる赤土、明日が晴れる予感。

台風直後の気候も好き。
湿った空気。でも風が強いためにそれと感じさせなく、心地よい。空気はあたたかく、しかし風が強いためにそれと感じさせなく、涼しくて心地よい。
多分、人間の感じる最も快適な気候というのがコノトキに近いと思う。


なんだか、ぼくが日ごろから「文学的価値がない」と言ってやまない『春はあけぼの・・・』みたいな文章になってしまいましたが、台風がきて、地に足がついていないので、このまま飛ばされます。


2oo2.1o.o3____冷たい水の中を、震えながら上ってゆけ

学会のリハーサル、終了しました。


くだらん。


何回練習したって同じだと思うぞ、おりゃぁ。
ま、感情にまかせて書きなぐってしまうと、とても読み返せない文章になってしまうだろうことがわかっているので、きょうはあまり多くを語りませんが、一言だけ書かせてもらおう。

本来「学会」というのは何か公表されるべき研究成果があがったばあいの発表の場であるはずなのだ、と、ぼくは思うわけです。
それがなんざんしょ、つい二ヶ月前の話だ。


助手Y「次の学会、発表してもらうからな」


そりゃないぜセニョリータ。まだ何一つ結果なんか出てないっすよ。何を話せばいいっすか、センセイ。


助手Y「今から頑張りゃ、なんとかなるでしょ」


結果を出そうとして結果がちゃんと出るよな研究は、多分ホントの研究じゃないっすよ。なんすか、アタマカズっすか、あなたの沽券にかかわるっすか、あなたの出世にひびくっすか、しょせんおいらはあんたの手足っすか、歩兵っすか、ホヘー。

学会で発表する日にちが決まった時点で、何を発表するのかさえ決まっていない。そんなバカなことがあるだろうか。
結局学会なんてものは、教授たちのポイント稼ぎなのだ。 少なくともウチの研究室では。そんなムチャクチャなことを言うもんだから、おいらだってやる気が出るはずもない。そーいうわけで、おいらはこんなギリギリチョップになってからようやく動き出すのだ。と、己の怠惰を正当化したり。


結局さ、一言でまとめると、こういうことです、





くだらん。



2oo2.1o.o6____夜明けの来ない夜はないさ

学会が終わったよーん。



・・・まぁ、これで最後だから、ちょっと付き合ってよ、学会の話。


ぼくが行ってきたのは「中部化学関係学協会支部連合秋季大会」っていう、なんだかヤケを起こしたようなむちゃくちゃな名前の学会なんだけどね、名前が長いワリにはこれがまたすっごいコジンマリした集まりなんよ。

「中部」っていうくらいだから、ご近所からしか集まらない。愛知、静岡、岐阜、あとたくさん。ちなみに学会々場は名古屋市内。うーん、コジンマリ。

で、地下鉄を乗り継いで会場へ行く。
久しぶりのネクタイは、ぎこちなさ色した首輪である。

「今日が終われば首輪をはずせる。」

満員電車もなんのその。



会場に着く。
受付を済ませて、いざ戦場へ。
久しぶりの革靴が、足取りの重さを象徴する。

「今日が終われば足かせをはずせる。」

ピリピリ空気もなんのその。



「これを発表するだけでいいんだ」
「矢のような質問を浴びるだけでいいんだ」
学会はA会場からN会場まで14ある会場で、一斉に始まる。
さぁ、始まるまで5分前。
意を決して入るK会場。






狭。



見渡す限り、壁。
こんなウサギ小屋でやるんですか?

でも、ちょっと安心。



ほかの人の発表を聞くこと二時間、ついにおいらの番となる。

「では、次の発表に移ります。表題は『アセトニトリル中における銅二価サレン錯体と金属イオンとの反応機構』。望月さん、お願いします」

カツ、カツ、カツ。

右手にOHPシート。
左手に少しの勇気。


くるり。
振り返るぼく。






15人。






少な。






これってホントに学会?

研究室内でのリハーサルのときの方が人数多かったぞ?


でも、ちょっと安心。



発表はとどこおりなく終了。12分の発表、3分の質問タイム。当然、質問はひとつだけで時間切れ。あっさり。



あぁ、終わったなぁ・・・。

開放感。

達成感ではない。あくまでも開放感。



「よし、ほかの人の発表でも聞きに行くか!」

いまやすっかり極楽トンボ。



プログラムをペラペラ。右へ、左へ。

「これにしようかな。うー。やっぱり時代はナノチューブかな。環境かな。それとも・・・。」

高校の学校祭みたい。少し楽しい。



けっきょく午後は、企業の人の話を聞くことに。

マイナスイオンの発生するという塗料の開発について。

でも、何が入ってるのか、教えてくれない。企業秘密、とな。




なんじゃそりゃ。



どうやら、何かの鉱物が入っているらしい。



化学の人間に、そんな話が通用するかよ。





お家に帰る。

軽い靴音が、足取りの軽さを象徴する。

・・・あ、にわか雨だっ☆



---------------------------------------------


ようやく自由な時間が作れそうです。
よかったよかった。

でもYセンセは、帰り間際にこう言ったよ。

「来年の学会は山形県だからな」

いやーん。


2oo2.1o.o7____ありふれた毎日が、今のぼくの宝物さ

ぼくの住んでるとこは、コンビニが近くてとっても便利です。部屋を借りるとき、ソレが気に入ったから決めたといっても過言じゃありません。

一人暮らしの大学生にとってこれほど嬉しいことは無く、ことあるごとに利用させてもらってまして、いつの間にやら店員さんとかおなじみです。


「腹へったなぁ」
>>>>25秒歩けば、豊富なお菓子。

「ノド渇いたなぁ」
>>>>25秒歩けば、豊富なジュース。

「電池切れたなぁ」
>>>>25秒歩けば、豊富な電池。

「本よみたいなぁ」
>>>>25秒歩けば、豊富な雑誌。

「人恋しいなぁ」
>>>>25秒歩けば、豊富な笑顔。


生きてゆくうえで、非日常性というのも確かに必要かもしれませんが、衣・食・住に関しては変わらぬ日常というものに支配されていても良いでしょう。生活自体がハードじゃ、かないません。

生活に日常を与える存在「コンビニ」。
ところがコンビニ業界というのは、日常、などと言っては居れないらしく、家とコンビニの間の25秒の中に新たなコンビニがドカッと建ちやがって、ますますコンビニエンスである。

新しくできたコンビニは、なんか「99円コンビニ」とか書いてあって、生活用品とかPETジュースとかたまねぎ4個とかが99円で売っている、デフレ時代のおとしごが24時間働いている健気なやつです。
確かに安い。あれだけの野菜が99円で買えるなら、それだけで十分利用価値があるだろう。シャンプーとか入浴剤とかは聞いたことのないメ−カーばっかりでちょっと買うのは怖いけど、ジュースが安いのはうれしいのぅ。また明日も行こう。

きのう、その店で五つほど雑貨を買った。
ところがその店、少し、なんていうか、恩着せがましいところがありまして・・・。

「ドン。」(かごを置く)

『はいすいません、お預かりします。』

ピ。(バーコードを読み取る)

『99円が一点。』

ピ。

『99円が一点。』

ピ。

『99円が一点。』

ピ。

『99円が一点。』

ピ。

『99円が一点。』

『・・・以上、519円になります。』


洗脳されかけています。


2oo2.1o.o9____わいのわいの

きのう、遠足に行ってきました。
ガッコの研究室の公式行事で毎年あるんだけど、今年は岐阜の山奥に行って、釣りしてバーベキューです。ちなみに去年はミカン狩り。

今年は一番下っ端の学年の人たちが張り切ってくれたもんで、ぼくはとってもらくちんなお客さんでいることができました。
けっきょくなんにも、準備を手伝わなかったなぁ。
唯一心残りはソレですね。

みんなでわいわい集まって、場所決めからイベント決め、出欠とりに車の手配、買い出し、車の席決め、タイムテーブル作り・・・。
そんなキャッキャきゃっきゃしてる後ろで、ぼくはひとり発表原稿作り・・・。

遠足にしろ何にしろ、おおやけのイベントで「何も手伝わない」というのは確実にラクをしているのであって、「あいつ何もしねぇな」といわれても仕方のない立場ではあるのだが、もちろんみんな大人であるから、そんなこと口に出しては言わないが。そういう人はやっぱり当日、肩身の狭い思いをしたりして、楽しさも半減してしまったりする。

ほんとは手伝いたいんだよ。

とは思っているのだが、出遅れた手前、実質的にできることが限られてしまっているので、最終的には当日になって、帰り際にゴミを集めて回るしかなくなって、結局一度も包丁を持てなかったりする。
とーぜん18人もいて、全員が手伝うようなこともないんだが、そうとわかっていても、準備に係わらなかった人に優先的に
「あれせい」
「これせい」
と言ってくれたら、自分も楽しむ権利を認識できたと思うのだがなぁ、とか感じたりする。「そんなもん自分で割り込んでいけ!」と言われそうだが、なかなか難しいのだ、すでに役割分担がしっかりできていて。

でもそれなりに楽しめたよ。
釣りやすいように加工された、浅い川でのマス釣り。とほほ。6匹しか釣れなかったけど、これはかなり美味かった。
一学年下のA女史の作ってきた栗ご飯。異常にうまかった。いままでの自分の食べた栗ご飯をすべて否定するこの味。すこし「味王」の気持ちが分かったような気がした。「うまいぞ〜!」
あと、バーベキューで豚肉のソーセージ入れちゃったもんで、イスラム教のアハメッドさんが食べれなくて。明るい人だったから良かったけど、ちょっとこれはみんな反省しました。ごめんねアハメッドさん。

そんなこんなで、ガーッと行ってガーッと帰ってきたんだけど、ま、おもしろかったですよ、ほんと。晴れてたらもっとよかったんですけどね。


2oo2.1o.1o____感謝して、もっとして。

おいおい、なんかTVで「ノーベル」「ノーベル」言ってるぞ!
ノーベル祭りですなぁ、こりゃあ!

すばらしいことだと思いますよ。小柴さんも田中さんも多分すごい人なんで、それが評価されるってのはやっぱり喜ばしいことですね。「世界に評価される」、すごいことです・・・・・・。



すごい、のかな?

ぼくは別にノーベル賞なんか欲しくないですね。いや、これは個人的な意見ってわけじゃなくて、ぼくの友人はみんな「そんなのいらん」と言いますよ。
受賞、というのは要するに、認められる、それだけであって、その前後で実質的な変化は無いのですね。それはつまり、ノーベル賞というのが何の価値も持たないことの証明だと思うのです。無駄です、無駄。
もちろん、変化が無いのは学術的な成果についてであって、受賞者個人のレベルでは大きな変化を与えてしまう。そこが問題なんですよ。何の価値も無いソレが、個人に、一般に対する知名度を与えるポテンシャルを持つ・・・。さて、ノーベル賞って何なんでしょうね。

「『知名度』自体に価値が無いんだよ」と言い切れてしまえば、なんだか結論は早そうですが、それを無価値と言うのは難しそうです。とくに日本では妙な愛国心がありますから、こと頭脳に関しての国際的評価となれば、わけがわからなくても国を挙げてのどんちゃん騒ぎです。ま、国民性は置いといても、マスコミにちやほやされるほどの「知名度」は非常に魅力的な価値があるのだと言わざるを得ません。

つまりノーベル賞というのは、知名度のみを与えるイベントなのです。そこで「そんなもん、いらない」と思えば、実際たいした話ではなく、それの授与者を見ても彼らはニュートリノのように反応することなくぼくの体を通り抜けるし、たんぱく質がばらばらになるような衝撃を受けることも無い。知名度が欲しい人だけ騒いでるのです。

じゃあ、研究者として極めた人にとってのノーベル賞はどうなんでしょう。
多分そういった人たちは、みんなうっすらとは目に入ってると思いますよ。賞自体に価値は無くとも、とりあえずソレしか目標が無いから、漠然と斜め上を見てる、そんな感じじゃないですかねぇ。
研究者というのは、すべての人が、誰もやっていないこと、いわば世界初のことを研究してるわけです。どんな小さな研究室でもそれは変わりません。新しい装置を開発したりして、まだ数多くある「未知」をやっつけようとする知的好奇心のカタマリたち。ノーべル賞がどーのこーのではなく、彼らが最終的に目指しているのはもっと大きいのです。
ま、その途中で「ノーベル」とか書いてある紙をもらって、副賞として知名度をもらえたら、ラッキー、くらいですかね。

研究者っていうのはそんなに血まなこになってノーベルノーベル言ってるわけじゃないですよ。自分の考えが正しいのかを確かめたくて、ウフフウフフ言いながらやってるわけです。そしてそれらはすべて、社会に有用かどうかを重要視しなければ、いつだって世界に対抗できるのです。





ところで話は変わりますが、 小柴さんって人のよさそうな方ですね。田中さんも素朴な感じで親しみがもてます。おととしの白川さんもやさしそーな人でした。あぁいう人たちが日本人として表彰されるのはうれしいですよね。ところがどうでしょう、去年受賞した野依さん。なんなんでしょう、あの 悪人づらは!あの顔、田にそっくりですよ。しかもその二人を比べたら、どうみてもムオのほうがいい人に見えるじゃないですか。どうしましょう、あの人は絶対ウラでは怪しい薬の売買だとか企業からのそでの下だとかやってますよ。
それに彼は実のところあまり人望厚くないようで、去年に行われた大学の総長選挙でも、ほとんど票が集まらなくて、結局落選。ノーベル賞授与式から二ヵ月後でこれじゃあ、日ごろの人徳も知れるというものです。あと、一番問題になったの、税金の申告漏れ。本人は「研究に没頭するあまり、お金のことはおろそかになってた」と言ってごまかしていたが、多分誰信じてはいないと思う。でもまさかノーベル賞受賞者手錠をかけるわにはいかなくて、追徴課税を課すことで良しとしたところあるんじゃなかろうか。そもそも追徴課税なんてのちっとやそっとの申告漏れなんかじゃ課されません。7年前からずっと申告漏れがあったらしいですけど、そんなの考られませんて。絶対これは脱税ですよ。故意です。わざと払わなかっに違いありません。そのうち、ノーベル賞の価値が下がってきたら、右手と左手が、背中の後ろでがっちりと重なるんじゃないですかね。

オホン、ではまたあした。




---------------------------------------------


10月前期 10月中期 10月後期


もどる


【風船の結び玉3】home
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送