風船の結び玉3」別紙(超近代文学論集)



近代文学論
----若き詩人、かく詠えり----



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ブルーハーツ





しかしあれですな。
結局のところ、ミュージシャンの評価というのは「知名度」であって、
一次元的な"広さ"に支配されるもんです。
もし二次元的な"積分値"をもって、その歌手の評価とするならば
世間一般の「評価」というものとはかなり異なった
傾向が見られるだろう。
そのとき、『ブルーハーツ』はかなりの上位に席を置くことになるでしょうね。

つまり両極端なんですよ、彼らの人気が。
熱狂的なファンが多い一方、
とにかく『ブルーハーツ』が嫌いな奴が多い。
一般うけしないンですよ、彼らの歌は。

原因はやっぱり、歌い方、そして歌詞が
どちらもストレートすぎるからだと思う。
まぁこれはロックバンド全体に言えることだと思うんだけども、
それにしたってブル−ハーツは困っちゃうぐらいに直球主義なんだよな。

「夢」という歌がある。歌い出しはこうだ。


あれも欲しい これも欲しい もっと欲しい もっともっと欲しい


うーん、わかりやすい。確かにそれが「夢」である。
でもこんな歌、どこ探したって無いよ。

世間にあふれる、デコラティブでキザな楽曲と較べると、
どうしても初見で見劣りしてしまう。

つまりは「ダサい」んだよねぇ。

それがブルーハーツのおもしろいところなんだけどね。


あとねぇ、感情移入がしにくいんだよね。
だって、彼らの歌、全部はっきりと一人称なんだもん。
「俺」とか「僕」とか限定しちゃうから
聴いているほうも
「あぁ、甲本ヒロトの心情はこうなんだな」で止まっちゃう。
それこそ独りよがりだと思われちゃうんだよ。

ようするに、へたなんだね。

小手先のうまさが足りない。
あまり歌謡曲としては商業的ではないようだな。


しかーし!
ブルーハーツの曲はよく聴いてみるとおもしろい。
人間というのを分解し、箇条書きにして、それぞれに応援歌を与えているのだ。
この人間の要素を必要最小限の文章で表す手法によって、
聴く者をすがすがしい気持ちにさせるのである。
まるで「相田みつを」の詩を読んだときのように。

ぼくは、「ブルーハーツ」と「相田みつを」はわりと似ていると思うんですよ。
詠む対象が「愛」や「夢」であるよりも「人間」であるところ、とか。

ただ唯一、この2つのアーティストの相違点は、
たまーにブルーハーツは「人間」の域を越えて、
遥かなる精神世界の彼方にぶっとんでしまうことだろう。えらいこっちゃ。

では、その例をあげよう。
タイトルは『情熱の薔薇』。わー、ダサいストレートなタイトル!


情熱の薔薇

永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう
情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方



要約すると、こんな感じ。


絶対的な常識など存在するのだろうか。大きな幸せは本当に必要な
のだろうか。その答えは自分で決めるものだ。「常識」と呼ばれる
ものに流されず、熱い意志を貫こう。



さて、この歌では、二ヶ所で

そんな気持ち分かるでしょう

と問うている。



じゃあお尋ねします。この気持ち、わかりますか?

Yes/No



よーく考えてから、選んでください。




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